小説の感想・レビューです。ネタバレあり。物凄く更新遅いです。ご了承ください。訪問ありがとうございます。
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銀漢の賦 (文春文庫)銀漢の賦 (文春文庫)
(2010/02/10)
葉室 麟

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前書き
私たちは空を見上げた。
「星がきれいだ」そこには満点の星空が3人をむかえた。
「あれが天の川だ」指し示した先には無数の星群が広がっていた。
「知っているか、天の川を銀漢というのを」
「銀は金銀の銀、漢は羅漢の漢。天の川は漢詩では天漢、銀漢などの言葉で表される。この場合の漢は、男という意味ではなく、漢江、すなわち大河のことだ」
銀漢、そう口の中でつぶやいた。

あの頃、3人とも親しい友だった。それは、いつも変わらないものだと思っていたのかもしれない。身分は違えど、目指すところは同じだった。正義感だけは一人前だったのである。銀漢、今はただ銀色の髪をもった歳をとった男になってしまった。

暮雲収め尽くして清寒溢れ
銀漢声無く玉盤を転ず
此の生、此の夜、長くは好からず
明月、明年、何れの処にて観ん


今また、同じ満点の星空を見上げている。夜空の銀漢と同様に、年を重ねたあ奴は、昔と変わらず、自分に素直な生き方をしていた。どんな時勢が変わってしまっても、変わらないものはあるのだなとしみじみ思う。今一度、あ奴とともに行動をしよう。人は一人で生きているのではない、誰かとともに生きているのだ。

銀漢、そう口の中でつぶやいた。




ジャンル・タグ 
友情のヒューマン歴史小説・江戸時代中期・重量感(小)・逆命利君・身分の違いを超えた友情・漢詩とともに・変わることと変わらないこと

評価   
素敵 

時代小説はひさしぶりでした。小説で同じ種類の本を読むのは熱中、のめり込み方が心地いいですが、緩急つけて読んでいくとマンネリがなくていいですね。葉室麟という著者さんは、初めて知りました。最近売れ始めた著者さんですかね?名前がかっこいい。時代物の中では、今後葉室さんはヒットしそうな予感がありますね。この小説は王道な正攻法で、厚くない本ですが内容の濃いた本でした。とても安定した小説を描きあげています。壮年の年をとった友がひさしぶり再会し、互いに協力し合い、同じ目的に向かって邁進する物語。季節は夏から秋。秋ごろに読むと哀愁漂う感じでいいですね。心がスーときれいに流れていくようです。たまには、時代小説を読む方は原点に戻ってみては。

感想ネタバレ
内容は、主人公の郡方の日下部源吾が月ヶ瀬藩の家老松浦将監の領内の新田の視察の様子から始まります。この二人はかつて親しい間柄にあり、視察の際中、将監が源吾に昔のよしみで頼みごとをします。昔、友だった3人でよく登った風越峠に行きたいと。そのとき、源吾は将監が命が残り短いことを打ち明けられます。そして最後の成し遂げたいとある願いが将監の胸の内にはあるのです。それは将監が「逆臣」と呼ばれるのに等しい願いだったのです。

本の分量が多くない割には、登場人物や藩の設定、月ヶ瀬藩の政局の構図が明確で、藩主は誰と親しくて、誰と対立的な構図にあるかなどをこと細かくせっていしてあります。現状から回想に入り、また現状に戻りそして回想という繰り返しで物語を展開していきます。会話文も地の文も同等の割合で盛り込まれ、心理描写も適度に入ってきます。心理描写を(カッコ書き)で書くところ等、司馬遼太郎さんの小説を思い出します。一人称は主人公源吾に来る場合と、将監、その他の登場人物にもきます。ただ、女性の登場人物が一人称になることはないです。そして、この小説に特徴的なのは、章の中盤から出始める漢詩を引用している所です。葉室さんは、中国の唐宋時代の歴史にも精通しているようで、文章に抑揚をつけています。これがとても、地味な文章を華やかなものにしています。サスペンス的な様子はありますが、それはソフトで、友情、人情、恋情を埋め込んだヒューマンなストーリーとなっています。

<本文より>
「人も花も同じです。生まれ持ったものは尊いでしょうが、それを美しくするためにはおのずと切らなければならないものがあります。花は鋏を入れますが、人は勉学と武術で鍛錬して自分の心を美しくするのです」「花の美しさは形にありますが、人の美しさは覚悟と心映えではないでしょうか」

さりげなく、格言的な文章が出てきます。ぜひ、格言好きなひとは読んでみては。



私が一番好きなのは、自分の感情を出せない不器用で、不精で無愛想な印象のある主人公の源吾が娘たつの婿の伊織に最後の別れとなるかもしれない時に、土下座をするシーンです。源吾は日頃、たつに母や自分に対して顧みない人だと思われ、疎まれていたのです。ただたつにとって源吾はいままでそんなことは気にもせず、生活しているようにみえたのです。

<本文より>
「実は今の話には続きがあるのだ」
「続き?」
「そうだ。義父上はわしを投げ飛ばして殴った後、今度は奪った刀を放り出してわしの前で土下座された。そして橋に頭を何度もこすりつけて頼む、頼むと言われた」
「頼むとは、何を頼んだのですか」
「そなたのことだ。義父上は、腹を切って迷惑はかけぬようにするゆえ、どうか娘を離縁せんでくれ、頼む、頼むと何度も頭を下げるのだ。わしが返事をしなかったら、義父上は逃げるように走っていかれた。それでも立ち止まって振り向いては、お願い申すと叫んで深々と頭を下げているのが見えた」
「わしは幼い時に父を亡くして、早く家督を継いだから、父というものをよく知らんが、振り向いては何度も下げておった義父上を見たら、あれが父というものか、いささか感じ入った」


小説とは関係ないですが、私が面白いと思ったものでも、人は苦手な本だと思ってしまうというがなんか悲しいですね。同等に評価しても自分の評価は主観の域を出なくて、ただの傲慢だということがよくわかります。時期にもよりますよね。本をよく読む私と、まったく読まなかった頃の私とでは全く違います。読まないと、文章に慣れていないので、わかりやすい軽めの文章が好きだったり、文章に慣れてくると、レトリックや文章が濃いものを好むようになったりと。主観は抜け出せないですね。だから、なるべく、好みは別にして、似たジャンル、似た文章を書く著者さんを多く見つけたいなと思います。例えば、恒川光太郎さんの物語は乙一の物語とジャンルと雰囲気が似ていますし、森絵都さんと佐藤多佳子さんの物語、目指すところははとても近いものを感じます。私の好きなファンタジーだったら、小野不由美さんと上橋菜穂子さん等は、中世な世界観や、物語の展開が似ていたりと。まぁ、それも主観を抜け出せないのですが。




素敵な言葉どもが記事の跡

人が生きるとは、何も得られるというほどのこともない。ただ虚しさと格闘するだけだ。生きたことの意味は死ぬ時にわかればいいのだ。

すべては白い霧の彼方に消え去って、わかりようもないということが年を取るということなのかもしれない

「十蔵はお主の友だったのだ」

脚力尽きる時、山更に好し


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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