小説の感想・レビューです。ネタバレあり。物凄く更新遅いです。ご了承ください。訪問ありがとうございます。
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対岸の彼女 (文春文庫)対岸の彼女 (文春文庫)
(2012/09/20)
角田 光代

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前書き
彼女といっしょだったら、なんだってできると思う。
「どこか遠くに行きたい」、その気持ちだけで、あたしたちは、どんな場所にだって行くことができるはず。その先に待ってる未来とはどんな素晴らしい世界だろうか。思い描いて見る。あたしの空白が埋まっていく。傍らでハミングする彼女は今何も思っているのだろうか。二人でなんとかしてみる。絶対なんとかしてみせる。日に焼けた2つの顔が、車内の窓ガラスに反射して、本当の双子あるいは、姉妹のように見えて、なんだか笑顔が出た。



私はぼんやりと考える。なんのため、歳を重ねたのか。
繰り返し繰り返し自分の中で問いかけてきた。子どものこと、旦那のこと、姑のこと、言葉にしなければいけないことがあっても、うまく口に出すことができず、じぶんが他の誰かだったらどうだっただろうなどと考えてしまう。だが、仕事を教わり、集中して作業をこなしていくと、頭の中が真っ白になっていく。頭の中に延々と続く問いが消え、ただぽかんとした空白が広がる。その空白がずっと身を置いておきたい心地にさせた。自分が考えていることは、そんなに難しいことではないと思えた。


ジャンル・タグ 
切ない青春少女友情小説かつ主婦ヒューマン小説・重量感(中)・選べない高校生のあたし・選ばない主婦の自分・「だれかと親しくなること」

評価  
最高  

第132回直木三十五賞受賞作。読み終わった後、いつまでも、物語の余韻に浸っていたい作品。色々な物語を読んできても、まだこんなにも感傷的になれる作品があるのだなとしみじみ感じていまいました。色々な物語を読めば読むほど、面白い、面白くない、という感覚が鈍くなっています。世間的に面白くないものもそれなりに楽しめてしまう現状。今の自分は小説をあまり読んだことがなかった自分より確実に面白さの取捨選択の能力は落ちてますが、これは私の感覚が鈍っても、するどく、面白さという香りを漂わせているため、すぐさま嗅ぎ分けることができる作品です。2人の女性の友情小説というべきでしょうか。ただ、友情に熱情的なものではなく、もの人恋しいような一種の恋愛感情に近くみえる友情。切なく、刹那的であり、ただ希望もある物語です。物語の一人称は二人いるため、青春少女友情小説であり、同時に、主婦目線小説ということができます。ただ、短編ではありません。物語全てリンクして最終的に1つに集約します。季節はいつでもおkですが、個人的には夏。時代錯誤あり。読む人の家庭での立場によっては説教されている感覚もある文章もあるかもしれませんが、純粋に物語を浸ってほしいですね。


感想ネタバレ↓


何度も触れているとおり、青春少女友情小説かつ主婦ヒューマン小説です。主人公は2人います。35歳の主婦の田村小夜子です。3歳のあかりという子をもつ主人公で、あかりが公園デビューできずにいるのを人溶け込むのが苦手な自分自身と投影し、専業主婦から抜け出し、仕事を始める決意を決めます。そこで出会ったのが、旅行の企画や手配、その他諸々を法人・個人を相手に行っている会社で、そこで出会ったのは楢橋葵という女性の社長です。新しく掃除代行業務部門を作ることを計画していて、その部門に仕事を探していた小夜子を当てようというのです。このプラチナ・プラネットという会社での仕事の経験が小夜子の心境に変化をもたらすのです。

そして、もう一人の主人公が、高校生の楢橋葵です。その名通り、プラチナ・プラネットの女社長の楢橋葵と同一人物です。物語では、1‐15章まであり、奇数の章は小夜子の物語と、偶数の章は楢橋葵の物語という構成で成立しています。2つの章は時間軸が違い、主婦の小夜子の奇数章は物語の現在、高校生の葵の偶数章は、物語の現在の約20年前です。
高校生の葵は、神奈川県横浜市から中学校卒業と同時に群馬県のとある町(不明)の女子高に入学することになります。中学時代、葵(アオちん)がいじめにあっていた経緯で、母の実家のある群馬県の高校に受験してその女子高校に入学することになったのです。入学した高校で、野口魚子(ナナコ)という同級生と出会い、ふたりで川辺で遊んだり、手紙を交換し合う仲となり、葵にとって友達として唯一無二の存在となっていくのです。

文章は梨木香歩さんや島本理生さんのような理路整然としていて、とてもナチュラルで、会話文も柔らかいし、とても自然です。心理描写は的確に盛り込まれていて、くどくなく今の私だと適量です。時代錯誤を感じるのは必然です。例えば、高校生がチェッカーズを口ずさむという件があります。この小説が書かれた時の時代背景が文章に感じられ、少なからず固有名詞、会話文の表現で時代錯誤があります。過去に戻ったつもりで読みましょう。現に私も時代背景で若干わからない部分がありますが、特に問題はありませんでした。

奇数章の一人称は小夜子で、偶数章の一人称は過去の葵です。そして実質の主人公は完全に楢橋葵です。この小説は楢橋葵の半生を視点を変えて描いています。そしてこの小説のテーマは、「出会いと別れ」です。サブテーマは「親友というものはどんなものであるか」です。キーワードは「ナナコ」です。奇数章は、小夜子の会社仲間の楢橋葵を通しての仕事育児成長物語で、最初は自分の意思を伝えるのが苦手な小夜子が最終的に自分とは正反対のような性格の葵と出会うことで、自分の気持ちを外に吐き出すことができるようになり、大人として一歩成長することが垣間見れます。偶数章は、葵の親友ナナコとの儚く切ない友情物語で、学生時代のいじめ、友達関係、親子関係、高校生というポジションなどを凄くうまく描いています。

私が面白いと思ったのは、主に偶数章です。葵とナナコの二人から漏れ出す、いつまでも一緒にいたい叙情的な感覚と、駆け落ち的な二人でいればどうなんでも構わないというような厭世的な感覚が、文章からひしひしと伝わってきて、胸が締め付けられるような気持ちになります。例えば、ナナコはなんで夏の伊豆でのアルバイトの終わり、「帰りたくない」なんていたんだよって。あそこで、ナナコが、「帰りたくない」なんて言わなければ、2人があんな形で、別れる必要なんてなかったのに、ナナコのバカーと、読みながら悲しみました。葵が助かった後の、ナナコを失った葵は、ただただ悲しかったです。葵の父のタクシーに、葵、と葵の父、とナナコの3人が乗って街を回り、その途中での葵と葵の父との会話の件には泣きました。ここが一番心に鋭利なものが刺さるのを私は覚えています。純情というのは、するどくて透明感があってどんなものも切り裂いてしまえるのに、強く握ると、とてももろくて弱いものなんだろうと。握りつぶしたあとには、もう戻らない透明感のあるキラキラした欠片だけが散乱しているだけで。葵の母親の立場も同調できる部分ありました。私は葵を見ているのに、葵は私を見ていないことの悲しさを。

さらに面白いところは、現在と過去を対比させて、その純情物語の高校生の葵を見た後に、現在の葵を見れることです。しかも、一人称が葵じゃないところがいじらしいですね。現在の葵の心の内が分からない方が想像力を掻き立てます。だから、一番気になるナナコはどうなんてしまったか、や現在の葵自身は今、ナナコに対してどう思っているのか等、わからない部分が、とてももどかしくて、だけどそれが小説としてとても良い、です。現在の葵、大人になった葵の心情が、仕草や、態度、行動でしか、読み取れない所が凄く良いと思いました。結果を知りたいけれど、知ってしまうと興ざめしてしまうからです。見えないことの美学。ナナコのその後。知りたいけど、わからない。ああ、ナナコ。きみは今頃どうしているんだ。って。結果がわからないこそ、ドラマチック。この物語のラストについては、希望があると同時に、葵の心の深層を思うとやっぱり悲しいなぁ。

素敵な言葉どもが記事の跡

「ねえアオちん、あんな場所でなんにもこわがることなんかないよ。もしアオちんの言うとおり、順番にだれかがハブられてったとして、その順番がアオちんになったとしても、あたしだけは絶対にアオちんの味方だし、できるかぎり守ってあげる。ね、みんなが無視したって、たったひとりでも話してくれたらなんにもこわいことなんかないでしょ?」


おとうさん、なんであたしたちはなんにも選ぶことができないんだろう。父の言葉にうなずきながら葵は心のなかで叫ぶように言った。何かを選んだつもりになっても、ただ空をつかんでいるだけ。自分の思う方向に、自分の足を踏み出すこともできない。ねえおとうさん。もしどこかでナナコがひどく傷ついて泣いていたら、あたしには何ができる?駆けつけてやることも、懐中電灯で合図を送ることもできないじゃないか。なんのためにあたしたちは大人になるの?大人になれば自分で何かを選べるようになるの?大切だと思う人を失うことなく、いきたいと思う方向に、まっすぐ足を踏み出せるの?


しゃべることは、気持ちいいのだ。義母のことも、夫の不用意な発言も、口に出せば喜劇性を帯び、すぐに忘れられる。言わずにためこむと、些細なことがとたんに重い意味を持ち、悲劇性と深刻味を帯びる。


「私はさ、まわりに子どもがいないから、成長過程に及ぼす影響とかそういうのはわからない、けどさ、ひとりでいるのがこわくなるようなたくさんの友達よりも、ひとりでいてもこわくないと思わせてくれる何かと出会うことのほうが、うんと大事な気が、今になってするんだよね」


なぜ私たちは年齢をかねるのか。生活に逃げ込んでドアを閉めるためじゃない、また出会うためだ。出会うことを選ぶためだ。選んだ場所に自分の足で歩いていくためだ。




最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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