小説の感想・レビューです。ネタバレあり。物凄く更新遅いです。ご了承ください。訪問ありがとうございます。
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始祖鳥記 (小学館文庫)始祖鳥記 (小学館文庫)
(2002/11)
飯嶋 和一

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前書き
龍神、それは永遠。

龍神が夢を描く時、私達はその出演者となる。
龍神が目をさませば、一つの夢が終わり、己も跡形もなく消える。

己が生や現実と信じているものは、龍神というものが見ているうたかたの夢ではないのか。たとえ名前が伝説として残ったとしても、身近に感じていた者たちがすべて死に絶えれば、すべては永遠の中に消し去られる。私達が消えた後には静けさが残るだけ。その静けさの正体が龍神、あるいは、永遠と呼ばれるものではないのか。つまり龍神が目を覚ましているのだ。

いつだって夢中だった。
暮らしていくために生業はいつも誠意に向き合ってきた。だが、気付くと凧作りなどという馬鹿げたことに打ち込んだ。それが何を意味するかも判らずに。そして世界を知った。時が経ち、型通りの暮らしへ同化していくとき、急速に何もかもが色褪せて見えた。

ふと気付くと、すぐ後ろに龍神がいた。

笑った。
馬鹿馬鹿しくて、笑った。
彼が目をさます前に、私にはやり残していたことがあった。
確かに、一つあった。


ジャンル・タグ 
ヒューマンな歴史小説・江戸時代中期・重量感(大)・浮田幸吉・鳥人幸吉・法度が作り出す架空の大罪・孤軍の先導者・夢中という病気

評価  
最高  

バイブルとして積読書にしたい一冊。会話文より地の文がやや多いです。正直読みにくいです。ただ、それ以上に内容がいいので。個人的には読むなら夏。

感想ネタバレ↓
歴史物で、こんないい小説を見つけられたのはひさしぶりです。

第一印象からいうと、表紙が冴えません本だなと思いました。タイトルもいまいち。そして、小学館なのかと。出版社としては大きいですが、小説、一般文庫という分野ではどうなんだろう、教科書じみているんではないかという思いがありました。受動的な道徳観。あまり手にとりたいと思わない表紙、装丁。しかも飯嶋和一という作家の名前もあまり聞かないですし、小説の作品もあまり多くない感じです。

が、俄然、良かったです。第一印象は破るためにあるものですね。評価が抜群に良いだけことはある本でした。全部読むのに、結構時間がかかりました。おおよそ500ページ、少し多い程度の量ですが、歴史小説特有の、その時代の用語がたくさん出てきて、それを読み砕くのに四苦八苦しながら、第3部構成のストーリーを読み終わりました。

活字読みがあまり得意じゃない方や歴史小説をあまり好まない方はなかなか読むのが大変に思うかもしれませんが、最後までたどりつければ、凄いという感情に取り付かれるのではないでしょうか。とにかく、練りこまれています。知識量が尋常じゃなく考証、考察が光ってます。ジャンルも作風も文の紡ぎ方も全然違いますが、個人的には、人気急上昇中の上橋菜穂子さんの本と出合った時の、見つけたという思いがしました。

他の作品はまだ手付かずですが、全部読みたいと考えてます。今回が手ごたえのある小説だったので、他もイケるはずです。きっと飯嶋和一は上橋さんのようにヒットする気配が漂っています。ただ、装丁を変えればの話ですが。とはいえ、秘かに隠しておきたい気もします。

内容ですが、
「備前屋幸吉」という江戸時代中期の天明期に実在した人物を軸にした物語。日本ではじめて空を飛んだとされる人物の生涯の物語。文章中での主語は一人ではありません。幸吉だけを語るわけではありません。(個人的に思う)主人公格は備前屋幸吉、巴屋伊兵衛、福部屋源次郎です。その他に文節ごとに、さまざまな人物に主語が置き換わります。ここがなかなか読むのに難点ではありました。この小説の内容で嫌な点をあげれば、主語が随時変わることでしょう。そこが若干、読みづらさを増幅している要素にあると思います。史実を含む歴史小説は人物制限しづらく、登場人物が多くなりやすい傾向があるのかもしれません。内容を重複されることも疲れる要素にあるかもしれません。疲れるくらい濃いので、だったら、1巻、2巻、3巻とか、外伝として冊を増やしてもなんら問題がないんじゃないかと思いました。飯嶋ささんがソフトな軽快なタッチの作品が出したらもっと受け入れやすい作品になるのではないかなと妄想してみました。個人的にはストーリーの構成、話の流れ方が苦手でしたが、状況設定、キャラ性、内容はすばらしいなあと思いました。

第一部:(兼プロローグ)表具師が空を飛ぶということの意味。幸吉の生い立ち、表具師としての資質。
第二部:公儀幕府の悪政、大飢饉、飢餓、江戸時代の農民、町民の苦難。町民の統率、伝説の男と指導者と賛同者。
第三部:罪をかぶった者の道しるべ、それぞれの道、夢中になること、最後の大勝負。

第一部は会話文が少なく、地の文で圧倒させ、記憶に残っている思い出をたどるような幻想的なイメージを漂わせます。子ども時代のウタカタなエピソードは切ないです。

岡山と八浜、離ればなれになった兄弟をつなぎとめて置くための凧は幸吉、弥作には必要でした。しかし、必要という意味合いは違います。ひとはそれぞれ同じ物を目にしていても、同じ物に同じ解釈はしていません。人それぞれが見たり聞いたりしているものは、すべて異なっています。だから見え方、とらえ方がその人の才覚を左右してしまい、同じ方向の道を歩むことはできないのです。つまりここでは、家族や弥作との別れを案じさせているのかもしれません。

その中で、同じ思い、共感を共有できる人、卯之助との出会い、己の道を開花させる者。山上憶良の反歌「この世の中は辛く堪えがたい。いっそ飛び去ってしまいけれど、自ら飛べる翼をもちあわせた人間ではないから」決められた生涯でも病魔に冒されようとも最後まで自由の魚として泳ぎ続けることを願ったおキヌ。それにきづいた松屋茂兵衛の弔い。型にはまった運命や生活への脱却を願った者、それを見届けた者。幸吉に与えた震撼は彼に何を伝えたのでしょう。

幕府、藩主にとって都合の悪い事は些細なことでも法になったのでしょうか。元々意味などなかったのに、罪深いという架空の意味をもたせる効果がどれほど人々を苦しめたのでしょう。それは、代々にわたって、人々の心にそのイメージを定着させるのに十分だったかもしれません。「イツマデ、イツマデ」さけぶ怪鳥とは腐敗しきった支配権力の滅亡を願う民の思いの化身。独占欲の欲得しか考えない大商人の罪よりも小童の遊戯である単なる凧上げが重い罪であること。すべては「八浜まで行ける。良い羽をつければ児島湾も越えられる」そんな空想めいた純粋な気持ちからだったのでしょう。好きなことに夢中になって何が悪い。龍神が目を覚ましたら、そこですべては終わりなのに。

第2部、一番好きな人物、巴屋伊兵衛が出てきます。このひとの件は個人的に一番胸を熱くさせるばかりでした。悪政の幕府や、大問屋、仲買に対して一人で対抗していく勇ましさ。誰もがみんな抱いていた幕府への憤まん。だれも、影で愚痴を言うだけで、実のところ、行動をおこそうとはしません。やれ、巴屋が意見を提示しても、結局自分にはずれくじを引いて、お咎めを食らうのが怖いのです。実際に行動が実、利をともなえば、そこにやっかみ、いやがらせをします。孤軍奮闘、四面楚歌のなかで、それでも、あきらめません。毎回、一つの行動をおこして返ってくるのは、自分の思惑、予想される結果とは違うのもの。くじけそうになります。

きっかけは幸吉の空を飛んで岡山藩池田藩主の悪政を指弾する噂を聞いてからです。それが幸吉の意図とは反してはいたが、巴屋は飛ぶ男の噂に鼓舞されたのは確かだったのです。仲間が徐々についてきました。一つの兆し、一つ一つこなしていくことで、また今日の敵と思われたものは明日の友になりました。

水滸伝のように、それぞれの星がそろい、悪政のひく大商人、幕府に向かっていく様がかっこよかったです。特に、武力だけで実りを作り出さない武士ではなく、実りを紡ぎだす町民、農民にスポットが当たっているのが良いです。結局、こわしたり、押さえつけることよりも、新しく作り出すということの偉大さを感じます。


第3部、合い言葉はいつだって不当なのはお上の方だということ。合い言葉はいつだって最も良質の心を備えたものが最もひどい目を見るということ。

小河内村の組頭、井助の嘆願書には泣かされました。あんな文章きたら無理です。悲しすぎて泣きます。そしてそれに対して、私腹肥やしている土豪、自称「殿様」、弥兵衛、腹が立ちますね。村の町民はほぼ奴隷も同然ですね。それでも、大きな力の前にすべてをすくいあげることのできない悔しさ、悲しさ。そういう現実、社会を身にしみてわかって、私たちは生きていくのかなあと思いました。あきらめて受け入れる度量も必要なのかもしれません。そのことに頭を悩まされすぎて拾いあげられる部分、この先へ持っていける部分を逃していたら、本末転倒な気がしてならないですから。努力して状況がかわるんだったらその分必死になればいいってことです。風が変わらないなら別の航路を探したほうが船が遭難、転覆を避ける事ができるかもしれないですし。

幸吉、いろんなことを見てきました。それでも生きていかなければならないのです。だったら、自分がやりたいことをするしかありません。ただそこには変化することの楽しみしかありません。空を駆けることはみんなの希望、願いだったのです。幸吉はかなえました。思惑は違えど、だれもが、「伝説をみた」と。これほどの驚嘆と興奮はないはずです。

なにか踏み出したいと思う時によむべきですね。決断ってなかなか難しいことですから。他にも夢中になるって、すばらしいことなんだってことを知らされる思いでした。

宝は隠しておきたい気持ちにさせられる小説でした。


素敵な言葉どもが記事の跡
巴屋の孤軍奮闘ぶりに胸が熱くなる。
確かに何もしないでいることは、幕府や大問屋にくみしているこっととなんら変わりはなかった。何もかも分かっていながら、何も手も打たずただ成り行きに任せて日々を送ってきた己の怠慢が女童を死なせた。伊兵衛にはそうとしか思われなかった。あばらの浮き出たその体も、細すぎる手足も、その目に刻みつけた。妻のイネが見かねて帯を締めてやり死化粧を施してやった。同じ年頃の娘を持つイナはこらえず嗚咽をもらした。しかし、伊兵衛は泣かなかった。これこそ己への天罰だ。泣く資格など己にはない。自らそう言い聞かせた。本来ならもう一回ためらっていることは許されない。あとはあえて険しい道を踏み込むしかなかった。行き着く先ははっきりしていた。あとはどんなことがあろうとやり抜くという伊兵衛自身の決断しかなかった。

福部屋源次郎の巴屋伊兵衛の人柄の印象。
この世にあんな男がいる。京屋が振り出した手形の署名は、屋号を苗字のごとく真上に書く、屋号書き下ろしで記されていた。口には出さなかったが巴屋がかなりの大店であることを示していた。三百両もの金子を小童にやる駄賃のごとく簡単に置いていったことを合わせ考えても、江戸下り塩仲買から原料を買い入れて古積塩を造り、十分商いをやれる財力を備えた者であることは間違いなかった。何もわざわざ新たな下り塩移入など図らなくともよいはずだった。ところが、たった一人はるばる下総行徳の地から兵庫へやってきて、あえて江戸下り塩問屋に対抗する手だてを作ろうとしていた。五尺そこそこの小男が六尺二寸の己よりはるかに大きく見えた。むしろ伊兵衛の前で、己の卑小さばかりを覚え居心地の悪さを感じて仕方なかった。久しぶりに力に満ちた真人と出合った。力に満ちているというのは、危機に瀕していながらそれを撥ねのけるだけの気力を失った者の様を示す。既に備えた力に安住している者には単に醜さしか感じない。まさに己がそれなのだ。



最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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