小説の感想・レビューです。ネタバレあり。物凄く更新遅いです。ご了承ください。訪問ありがとうございます。
2017/04123456789101112131415161718192021222324252627282930312017/06
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

神無き月十番目の夜 (小学館文庫)神無き月十番目の夜 (小学館文庫)
(2005/12/06)
飯嶋 和一

商品詳細を見る


前書き
一つ、陸奥国と境を接する常陸の北限、小生瀬の地、忘れ去られた出来事があった。
一つ、元来、小生瀬の地では「十日夜」、稲の刈り上げ祭というものがあった。
一つ、収穫した米で餅をつき、御神酒を仕込み一年の無病息災を念じる祭り。
一つ、慶長七年 陰暦十月十日、「十日夜」も例年通り、行われるはずだった。
一つ、陰暦十月十日、小生瀬の村の者、総勢300人が村から跡形もなく消えた。
一つ、村のどの家々、人が死んでいたり、家が荒らされたりした形跡がなかった。
一つ、陰暦十月十日以降、小生瀬の地では、
      「十日夜」の行事は今後一切行われることはなくなった。


ジャンル・タグ 
ミステリな歴史小説・重量感(大)・安土桃山時代から江戸時代・常陸土豪の悲劇・一村亡所の謎・歴史に埋没した闇

評価  
最高  

徳川家康が天下を取った当時の茨城県のとある村の話。正史には記載されていないらしいのですが、総勢300人が消えた一村亡所はホントにあったような文献があるそうです。それをもとに飯嶋さんがアレンジを加えて書き上げてくれています。空寒くて悲しくてやるせない話です。文章は時代背景もあって日本の歴史に疎いと読みにくいと思います。完成度が高く練り上げられた小説です。ホラーではありません。ホラーではない「ぞっ」とする寒気があります。

感想ネタバレ↓
前回よんだ始める「始祖鳥記」同様、江戸時代初期の一集落にまつわる事件というコアな部分を題材にしてて新鮮。(個人的には、「始祖鳥記」の方が好きです)
歴史小説好きならたまらない作品ではないでしょうか。王道の歴史物に飽きたらならこれです。飯嶋さんの小説に魅力を感じるのは、コアな題材をピックアップすることと、実際の文献を基になるべく忠実に再現しようと当時の知識・情報を飯嶋さんの中で消化した上で、意訳して物語へ盛り込んでくれるからです。文章を読んでいてその姿勢が伝わってきます。六連星(スバル)、後星(アルデバラーン)の位置で方角を確かめるなど、近代技術が発達する前の自然科学の知識がうれしいです。下調べがしっかり。きっと、いろんな参考文献、書物をよんでいるんだろうなということがわかります。歴史小説の完全オリジナルではないからこそ、私の好きな「ありそう」な展開、設定、心理状況がたまりません。物語の最後に、飯嶋さんの実際の歴史の言及もうれしいものの一つです。

この小説のカバーにミステリーとありますが、読んだ感じ、サスペンスですね。序、1、2、3章とあり、序章で結末・ネタバレを言って、なぜ事件はおきたのかのエピソードを1、2、3章で語っていきます。正直、1、2章で事件が起きた原因は分かると思います。あとは、事件発生までをどう進めていくかの過程を見ていく、楽しみます。

<本文より>
「一つ、御検地に際し、隠田これある時は死罪とする。」


話は簡単に言うと(ネタバレなので注意)、元佐竹家の領地、小生瀬の地に、新たに領主となった徳川が検地を行うために、村にやっていましたが、村の者が検地役人をどんどん殺してしまいます。原因は隠田があることがばれてしまいそうになったからです。役人側は小生瀬の者が検地に異を唱えたという合図と役人殺しのことを受け取ります。今まで年貢を納めるより、軍役に力をいれるように暮らしてきた小生瀬の人たちは検地反対でこれを機に蜂起します。さすがに天下の徳川には手も足も出ず、村の人達は。。。

保内の地は月居大膳亮のもと、佐竹義宣から成敗権を一任され、北方の伊達に対して軍役を優先していたようです。だからこそ、米の食事、他の地域よりも生活水準の高く、百姓ではなく、月居騎馬・保内衆としての気質に、誇りをもっていたのでしょうか。

<本文より>
「・・・何が戦だ」

伊達政宗の南下で二階堂家の重臣の保土原江南斉も、浜尾春斉も、矢部下野も、自分の保身しか見ず、須賀川城、城下町を守護するどころか、家に火をつけて男女にかかわらず、老人、赤子にかかわらず、殺されたこと。しかも、伊達と内通してて始めから決まっていたようなものです。自分が頭を下げ続けて年貢を納めていた存在など、守るに値しないですよね。いらなくなったら捨てる、奴隷のような扱いですね。当時の民には戦争なんか知らない私達には想像できない悲しみがつまっているでしょうね。今はもう、忘れされた小さな小さな出来事しかすぎないでしょうけど。今、政治的側面からどこかの国に戦争がおきればいいのに、とか安易に口に出したりする人がこの間みかけましたが、その人達に唾を吐きかけてやりたい思いにかられますね。それでどれだけ悲しむ人がいるか。おまえの親しい人がなくなったら、おまえは何も思わないのかと。

小生瀬の肝煎(庄屋)、藤九郎はそういう悲しみをもってた一人でした。それにも関わらず、己が進んでほしい筋書きとは反対の方向に進んでしまったこと。正直、検地が行われる前に村の風潮の変化に気付き行動すべきだっただと思います。って、そんなの無茶な話かぁ。

佐市の件は切ないですね。自分がみすぼらしい貧しい状況にあって、となりの村が権力者が変わらないにもかかわらず、童も男女もだれもが、笑顔で豊かな生活をしています。全然母親から伝えられた土豪の人のイメージとは違い、生活水準が高い小生瀬の地を見たら、24年間、当たり前だと思っていた生活が井戸の中の蛙なんて。もう何もかも馬鹿馬鹿しくなっていってしまう気持ちも分かります。そして、佐市が登場してきてからの寒々しい予感。その寒々しい切なさに軽く鳥肌が。と思ったら、全然、佐市の件は本題とは関係なかったようですw
謎を正体はなんなのかを思い描くばかりに早とちりをしてしまいました。


<本文より>
昨年の凶作に痛めつけられ、今年こそはと思い定めて、ここまでは何とか天も味方し、やっと開花を迎えるところまできたというのに、稲は好き放題にじられ、いったい何が検地だという怒りしかないはずだった。

小生瀬の検地は七月でした。七月の刈取り前に青田の水を抜き、今まで育てた稲を検地のために踏み潰されていくのには鬼畜ですね。検地といえ、稲が開花しようとする時期に。。。時期をせめてずらすことなど思いも至らない彼らにとって取るに足らないことだったのかもしれません。私が中学生の時、社会の授業で江戸で一揆がおこるのを、単なる歴史の一イベントのように思っていた頃が懐かしいです。


素敵な言葉どもが記事の跡
佐市は去った後、何を思ったのでしょう。きっと誰にも他言しないでいつまでも、畏敬の念で藤九郎のことを称えていたんじゃないかと私は思います。

「己を灯(ともしび)とし
己を拠(よりどころ)とせよ
他のものを拠とするな

真理を灯とし
真理を拠とせよ
他のものを拠とするな

依上保内小生瀬 石橋藤九郎」



最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
にほんブログ村 本ブログへ

この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
この記事のトラックバックURL
http://kkk12liliyom.blog69.fc2.com/tb.php/84-5e05b42a
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。