小説の感想・レビューです。ネタバレあり。物凄く更新遅いです。ご了承ください。訪問ありがとうございます。
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黄金旅風 (小学館文庫)黄金旅風 (小学館文庫)
(2008/02/06)
飯嶋 和一

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前書き
長崎は徳川家直轄の地だ。ポルトガル人も、イスパニア人、オランダ人も、唐人も入り乱れた今の暮らしは直に終わる。すべての教会は壊され、切支丹はことごとく追放される。長崎も、有馬領も、島原で起きてきたものと同様に同じことが繰り広げられる。

秀吉が天照神として、この長崎で切支丹を磔刑したように、今度は家康が同じことをやる。他の神など一切いらないのだ。長崎の者は、もちろん選ぶ余地はなく、天主教を棄てるしかない。もし、隠れて経典でも読んでいれば、公儀御法をないがしろにし天主教を密かに信奉した非道の輩とみなされる。そして六十路をむかえる老母だろうと今年5歳となる子であろうと、検挙して牢屋敷に送られる。その後、待っているのは死である。

奉行所のやつらはいかに多くの切支丹をとらえて自分の手柄とするかに躍起になっている。その切支丹たちが、火あぶりされようが、斬首されようが、硫黄の臭いがたちこめる沸騰した硫黄泉に投げ込まれようが、自分の懐の肥しや自分の地位が確かであることばかりに目が向いている。

大愚を行う者は必ず大義を振りかざし、結果最も弱き者が悲惨を見ることとなる。


ジャンル・タグ 
歴史(時代物)・江戸時代初期・重量感(大)・町田宗賀の大甥・内町火消組惣頭平尾才介・末次平蔵茂貞の傑出した資質・キリシタン弾圧の歴史・カピタン平蔵の武力主義・「放蕩息子」の先見の明・雲仙地獄

評価  
素敵 
 
飯嶋さんの本は今回で3冊目になりますが、すべて傑作と呼べるに相応しい小説です。小説だけを見ていると、飯嶋さんは完璧主義者ですね。すべて参考文献を読み砕き、考証を重ねたうえで、歴史の一ページを一編たりとも逃すまいという気概が伝わってくる形に一冊です。ただ、読者の人からみれば、飯嶋さんの本は、どの本も長くて読みづらいという欠点はぬぐえません。私はいっこうにかまいませんが、長い文章、長い物語の展開を読むことが得意でない方や短い物語やスムーズに展開する小説が好きな人にとっては、傑作とはいえないでしょう。きっとダラダラ長くてしんどいだけの駄作です。歴史好きや歴史を研究している人にとっては司馬遼太郎さんの小説並みに読む価値のある小説として仕上がっています。そこが悲しくも嬉しくもあります。

感想ネタバレ↓
文章が長い、重いというのは否めないです。飯嶋さんの本はすべてそうです。反復表現はどの本をとっても多いです。なので、飯嶋さんの本に入門本とかはないです。STORY BOX の連載誌の作品がもしかしたら入門として読めるかもしれませんが。軽く読める本は飯嶋さんの本ではないと思います。個人的に飯嶋さんの初読みするなら、断然、「始祖鳥記」です。「始祖鳥記」が私の中で一番好きです。ただ、軽くは読めないです。とても長い小説なので。長い文章がダメなら、読むのはあきらめた方が無難です。途中で読むのをやめるのがオチでしょう。ちゃんと、ラストまで読んでくれる人に読んでほしいです。

飯嶋さんの本を読んで毎回思うことですが、考証がすごすぎです。「なんでそこまで知ってるの?」ってぐらい事細かに歴史上の人物の事情を語っていく。そりゃ、小説ですけど、蚊遣りの青燻しが嫌いだとか、後腰に夏冬関係なく濡れ手ぬぐいを入れているだとか、いちいち事細かに情報を与えてくれることがうれしいです。しかも、ただ単に、情報をただ載せているわけではなく、話の都合とうまく折り合わせて出し惜しみなしに語ってくれます。それがすごい。たまにある付け焼刃的に調べた知識ではないってことが本当に飯嶋さんの本を読んでいてわかります。あ、本物なんだなって。飯嶋さんの本は地名や、人物、情景描写が本当に詳しくてしんどいですが、しんどい分のすばらしい価値があります。


飯嶋さんの物語の醍醐味は登場人物の熱い言葉、あの真摯に向かう情熱な言葉がとても「ぐっ」とくるというか、「萌える」のです。

<本文より>末次平左衛門の言葉
「作右衛門様やら、袋町の随右衛門様、来る人、来る人、誰もが勝山町の末次の家と代官職を俺に継げと言う。それが、長崎のためだと。・・・何が長崎だ。長崎などどこにもない。あるのはみな、己の私利私欲。欲にとらわれた亡者ばかりの巣窟だ。親父は、死んでも生き続けさせられる。埋めてやることさえ許されない。
才介、俺は臆病者だ。武張ったことは嫌いだ。それよりも嫌いなのは、無力な切支丹たちを禁令にして弾圧したりすることだ。代官などになってあんなまねするくらいなら、末次家の恥。そう言って笑われているほうがずっとましだ。」
「才介、頼みがある。末次の身代を継いで後、…俺がもし朋輩と呼ぶに値せんようなザマになった時には、お前の手で、斬ってくれ」
「断る。お前なんか斬ったら刀が穢れる」




小説の内容について簡単に説明したいと思います。
江戸時代初期、徳川家康、秀忠、家光が頂点にたっている頃の話。周知のことですが、徳川幕府が開かれて日本は鎖国の政策を実施されました。すべての日本船は例外なく海外渡航を禁止とする法、鎖国令が初めて発布された経緯を描いています。舞台は長崎。外国への貿易が盛んが行われていた長崎、外来からやってきたキリスト教(天主教)は、ポルトガル人やイスパニア人(イギリス人)と交易にするための代償として受け入れてきました。しかしながら西国の間で流行ってきた天主教の思想に強く懸念を幕府は示しました。中央集権の国をつくりたい幕府にとって、それは国を分断する余地を含んだ邪魔な存在となっていきます。それは宣教師、キリスタンの排除の歴史に続いていきます。ノイツ事件、奉書船制度の始まりの経緯など、歴史の一ページを一つ一つ語られていきます。

主人公は、町民。内町火消組惣頭の平尾才介と、長崎代官の末次平左衛門、公式には末次平蔵茂貞です。この二人です。この町民に主役の座を譲るあたりが、飯嶋さんの小説の特徴のひとつでもある。飯嶋さんの小説の根幹に「弱きものが強きものを打ち崩す」と想いがどの小説にも共通なところです。

ここでは、長崎町民 VS 長崎奉行 (旧幕臣、西国大名たち)という構図が頭に浮かびます。


明るい空色の柄巻きに朱鞘の一本差しは内町火消組の目印となっている。火消組が出役する際は、人足にいたるまで必ず同じ拵え(こしらえ)の刀を帯びる。


徳川家光が幕府として治める時代から火消組というのは、刀を帯びることがあったんですね。火消組の身分がどの程度だったかがわからないですが。刀は武士だけが帯びる時代というのは、いつで終わったのでしょうか。もともと、武士だけのものじゃなかったってことでしょうか。

日本人は自分の縄張りや仲間内ではえらく尊大でありながら、外にいる人間に対しては別人のごとく卑屈なものだった。個人がどこにもなく、いったいそれは誰の意志なのか、いちいち確かめるのに苦労させられた。しかも、返ってくる答えは「みんながそう思っている」などという訳のわからないものばかりだった。
現代人が当てはまるかは別ですが、この時代の個人の思想が今も日本人の中に染みついていることはたしかにあり、ここに原点をみるようですね。「みんながしている」からとか、「友達といっしょ」等。よく思い浮かぶのは、レストランに出かけて、「彼女がAランチを注文するから、私も」、「誰々ちゃんと同じ料理にする~」という自分の意識で決めないことですね。

『日本人は、ひどく野蛮な人種で、十歳ばかりの子どもが剣を差して町なかを歩き、辱めを受けたならば平然と相手を斬り殺す』などと、マニラ(馬尼刺)のイスパニア人宣教師に記録されたのも、かつての才介の風聞がもととなっている。


子どもが刀をもっているという現実があったんですね。怖すぎです。

「平左は心配ない。あいつは化け物だ。初めから狂っとる。やれ高木だの高島だの、あんな内町の小金持ち連中なんぞとは生まれつき器量が異なる。あいつは守るものが、実は何もないんだ。みみっちい自尊心など持つ必要もないのだから、相手が他人の目など委細構わぬ。竹中采女はまだ何もきづいておらんが、とんでもない化け物を敵に回した。親父様を亡き者にして、竹中はやりたい放題やっておるが、あれで平左は手強いぞ」
末次家は、平左衛門より、平蔵政直、興善が有名なので、実際、平左衛門がどの程度活躍していたのか気になるところです。


この物語を読んでいて思ったことは、飯嶋さんは長崎の切支丹の弾圧があったという事実とそれが常軌を期していて非情なものであったという事実を、歴史の素人の私たちに多く知ってもらいたいという思いがあったのではないかと感じました。ひとの信条や命を他人が勝手に決めていいわけないんだと。この物語はその教訓なんだと。たとえ、この小説が創作が含まれているとしても、ノンフィクションでないとしても、江戸時代に多くの切支丹だった人々や切支丹に仕立て上げられた人々が、残忍に殺された史実は実際あったということを肝に銘じなければいけないのかもしれません。ところで、タイトルの黄金旅風の言葉の意味は、影が薄かったですね。タイトルに付けたからには、もっと活かしてほしかったですね。才介があこがれていた黄金の蝶のことを指しているのでしょう。黄金の蝶が風に漂い、旅をする、っていうことでしょうか。それとも、船のことか、繭玉のことか。


素敵な言葉どもが記事の跡

「陸暮らしのものは年を取ると、、己の人生がとるに足らないものだったと感じるようだ。きっかけさえあれば、全く別の人生を送れたのではないかと。船に乗って遠洋に向かうのも、それに似てる。海のはるか向こうには、まったく別の人生が待っているような...。」

権力を得れば、小人は簡単に人が変わる。
我驕ることなかれ。

人というものは、たいてい俗世の価値基準に縛られ、黄金の色に目をくらまされて価値が高いものに見えてしまう。

功名心と物欲にかられた馬鹿者どもの先走りによって引き起こされる事態など、何を招くかわかったものではない。いつだって悲劇は最も弱き者を直撃する。当然そんな野心は粉砕しなくてはならない。



平左衛門が繭玉を長崎に持ち帰ってきたときのシーン。ここが一番好き。
濱田彌兵衛が子らを促して両手を出させ、小さな手のひらに黄金の繭玉を五つずつ載せ始めた。次々と差し出される小さな手に濱田彌兵衛が金色の繭玉を載せていく様を眺めながら、平左衛門は黄金の光を発する繭玉よりも、たくさんの花のような手のひらの輝きに打たれていた。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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